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平成ゲームメモリアル―第1回「30年前はゲーム少年だったおっさんたちが体験した不朽の名作たち」

この座談会は「平成ゲームメモリアル」と題し、各ライターの過去の体験を掘り起こし、「あの時代あんなことがあった」と振り返るものです。第1回目では「89年から95年ぐらいまで」を中心に、その時に登場した人気ゲームに纏わる想い出を語ってもらいました。

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1989年1月8日から始まった"平成"という時代は2019年4月30日をもって終わります。ビデオゲームから平成を振り返ってみると、2Dから3Dへの表現の拡大や、海外ゲームの躍進、ダウンロード販売の一般化、ゲームを楽しむデバイスとしてのスマートフォンの台頭など様々な変革が起きた時代でした。この座談会は「平成ゲームメモリアル」と題し、各ライターの過去の体験を掘り起こし、「あの頃はあんなことがあった」と振り返るものです。座談会は全6回を予定し、第1回目では「89年から95年ぐらいまで」を中心に、その時に登場した人気ゲームやジャンル、ムーブメントに纏わる想い出を語ってもらいました。





SHINJI-coo-Kまずは自己紹介を。昭和中後期に生まれて平成をゲーマーとして生きた男、ヒップホップジャンルの作曲業とフリーランスゲームライターの兼業家SHINJI-coo-K(池田伸次)です。(※以下SHINJI-coo-K)Game*Sparkでは主に特集やこういった座談会に出席させて頂いています。

G.Suzuki昭和末期に生まれたミリタリー系ゲームが好きなライターのG.Suzukiです。

葛西祝ジャンル複合ライティング業者の葛西祝です。昭和60年に生まれたので、ものごころついた時に平成に変わっていた、という印象です。

宮崎紘輔よろしくお願いします。いつもタンクトップ着ている宮崎です。1987年(昭和62年)10月26日生まれで、誕生日は先日再結成を発表したナンバーガールのボーカル向井秀徳とマツコ・デラックスと同じな31歳。マツコ・デラックスとは身長も同じです。ポルシェに乗りたい一心でGame*Spark編集長を名乗りましたが、イードのゲームメディア全体の事業責任者をしています。

G.Suzukiありがとうございます。では自分が司会となって座談会を進めていきましょう。平成元年は昭和天皇の崩御に伴い1989年1月8日から始まりました。ゲーム関連で平成全体を見返すと、ゲームボーイやスーパーファミコン、プレイステーション、セガサターン、ドリームキャスト、Xboxなどシリーズの世代差を基本に様々なハードが販売されています。またこの平成は2019年4月30日をもって終了してしまいます

平成元年の89年4月には、まず任天堂からゲームボーイが発売されていますが、各人ゲームにまつわる何らかの想い出はあるでしょうか?

葛西祝その当時は幼稚園児でした。ファミコンは家族で遊んでいたんです。ただ『スーパーマリオブラザーズ』って2Pは可能だけど、ゲームプレイは一人ずつなので、協力して遊べるゲームということで『スーパーチャイニーズ2 ドラゴン・キッド』をよくやっていたんですよ。RPGとアクションといったジャンルが入り組んだゲームでバラエティがあったし、二人同時プレイが可能なんですね。ぼくと両親でいっしょに遊ぶっていう。謎解きやコマンド式の戦闘みたいな、子供には難しいところは全部、親にまかせたりしてました(笑)。


SHINJI-coo-Kおお、それは羨ましいエピソードですね!自分はなんというか、家族から居場所を借りて、つまりテレビの占有権を巡ってバチバチに親子げんかなどをしていたので、家族と一緒にゲームを遊べるというのがそもそも羨ましい環境だと思ってしまいます(笑)

宮崎自分は父親がゲームしてるのを眺めてたところが初体験ですね。夜な夜なスーファミで遊んでたのをよく覚えています。

母親が親父に「ご飯できてるからゲームやめろ」というくらい、ゲームに対して寛容な家庭で育ったので、SHINJIさんのように親子げんかもなく、良い家庭に育ったなと思いますね。

葛西祝確かにいい環境ですね!友達のことを思い出しても、家庭によってビデオゲームの扱いが違いすぎるんですよ。ゲームを一切許さない家庭から、RPGを親に早くクリアされてネタバレを見てしまったって怒ってる奴もいたり。ただ、自分のそういう関係は長くは続かなくて、小学校に上がるにつれてSHINJIさんと同じような環境になりましたよ。

当時は両親もファミコンが珍しかったから、ハマっていたんです。でも自分が成長するにつれ、だんだんと「これは子供にはまずいな」って変わっていったんです。あのころ、家族がぼくに私立の中学を受験させる方針があって、勉強させるためにゲームプレイ時間が決められたり、時にはソフトを壊されたりされました。

ただ思い返すと父のほうがファミコンの『麻雀』ばっかりやってた記憶もあるんですよね。親にとってもまずいものでした(笑)。父がそれでファミコンを独占して、自分が遊べないのが嫌で『麻雀』のソフトを隠したりしてましたね。

G.Suzuki自分は、幼少期の頃プレイしたタイトルといえば、親がPCエンジンを持っていたのでそれで遊んでいました。特に覚えているのがセイブ開発のシューティングゲームの『雷電』をプレイしていた想い出があります。


SHINJI-coo-K自分は居間のテレビを奪い合うみたいな環境だったので、平成元年のゲームボーイの登場は自分にとっては救世主のような存在でした。ついに自分1人でゲームを遊べる!という。

宮崎今でこそ、一人一台ゲーム画面があるっていうのは全然不思議ではないですけど、ゲームボーイは同じく貴重な存在でした。

葛西祝そうなんですよね!だんだんと親がビデオゲームに厳しくなる中、キリシタンが祈るように、隠れて『聖剣伝説 ~ファイナルファンタジー外伝~(以下:聖剣伝説)』や『ゼルダの伝説 夢を見る島』をやりこんでましたよ。


G.Suzuki自分は、ゲームボーイを買って貰えなかったので、後々までそういった感覚を掴むことが出来なかったのが悔しいですね・・・。当時ねだることはなかったのですけれど、やっぱり欲しかったのは事実で、「欲しい」と言っても買って貰えなさそうな雰囲気があったんですよね。当時から10年ぐらい経ったあと親に「ポケモンなどが流行っていた当時にゲームボーイをねだったら?」と聞いたのですけれど、当時でも「ダメ」と返されてショックでした。

SHINJI-coo-K当時はテレビ画面占有争いが常に起こっていましたよ、親がちょっと留守にしている間にゲームを起動してプレイ中に帰宅されて叱られたり「ちょっと待って!今パスワードメモし終わるまで待って!」みたいな(笑)

だからこそゲームボーイというテレビを奪わないゲーム機の登場はゲーマーとしての環境を変えてくれましたね。

宮崎しかも通信機能もついてたという。

葛西祝その機能が『ポケットモンスター赤・緑』で爆発するんですよね。



SHINJI-coo-K最大限活かされたタイトルでしたね~!それまでにも『テトリス』などちらほら通信ケーブルを使った対戦などはあれど『ポケットモンスター赤・緑』のインパクトは大きかったと思います。

G.Suzuki初代『ポケモン』の存在は大きいですよね!学校にゲームボーイを持ってきて通信対戦や交換していた友人を、後ろから羨ましく眺めていたのを思い出してしまいます

宮崎今でこそ、文字通り線を繫いで通信するなんて、パソコンやコンソール機でオンラインプレイするときくらいなもんで、ノートパソコンなんかLAN端子がないことにも驚かなくなったじゃないですか。でも当時はやっぱりデータをやりとりするって、電話もそうですし、パソコンでネットをする時もそうでしたけど、有線が当たり前でしたよね。

SHINJI-coo-Kちょうど、昭和が終わる頃の1987年(昭和62年)にようやく「コードレス電話」の販売が自由化されたという時代なので、何事においても有線でしたね~。少しお話が前後するんですが、先ほど葛西さんがおっしゃってた『聖剣伝説』と『ゼルダの伝説 夢を見る島』は自分もだいぶやり込んでいて、特に『聖剣伝説』はすごく思い入れが深いです。


葛西祝『聖剣伝説』は親に隠れながら、ビデオゲームの物語を文庫本を読むみたいにクリアした唯一の作品で、すごく記憶に残ってるんです。ああいうゲームの体験はもうないかもしれないですね。

G.Suzukiそうですね。自分も少しだけ90年代末にゲームボーイを触れたこともあって、当時に友人がゲームボーイ本体ごと貸してくれたんです。それでなんとか『ゼルダの伝説 夢を見る島』と『メトロイドII RETURN OF SAMUS』はプレイできましたね。両作とも非常に面白かったです。

宮崎自分はメジャーどころ以外だと、1995年(平成7年)に発売された『魔法騎士レイアース』に無茶苦茶ハマった時期があります。

G.Suzuki宮崎さんはゲーム版『魔法騎士レイアース』にまつわる想い出とかあります?

宮崎それがですね、ゲーム自体はそれこそさっきあがったような名作と比べると、特筆すべきものはないんですよ。手元で光、海、風(いずれもキャラ名)と冒険できるという体験だけで、何周も遊んでしまうという不思議なゲームでした。当時のRPGと比べてもかなりマイルドなゲーム性というのが10歳にもならない子どもにはちょうどよかったのかもしれませんね。

葛西祝いや、逆に独自の歴史としては貴重な話ですよ。平成初期って意外にメインストリームじゃないゲームやってましたから。

G.Suzukiちなみに葛西祝さんは何をやられていたのですか?

葛西祝あのー、自分自身の感覚だと平成初期ってすべてカルチャーブレーンのゲームなんですよ。任天堂やスクウェア、エニックスではなくて。『飛龍の拳』や『スーパーチャイニーズワールド』はジャンルをぐちゃぐちゃに詰め込んだスタイルでとっ散らかっているんですけども、いまだに印象深いんですよね!それがあとでインターネットで、会社がネタにされているというのは心苦しかったですね……

SHINJI-coo-K何の助でしょうね……!

葛西祝やめてください!いまでも自分を構築したクリエイターの一人なんですよ……

SHINJI-coo-K実際『飛龍の拳』は結構欲張りなタイトルでアクションも遊べればRPGの戦闘も楽しめる作品、かつキャラも立ってるよいタイトルでしたね。スーパーファミコン版が1992年(平成4年)に『飛龍の拳S ゴールデンファイター』としてリリースされたり、思い入れが深い人も多いのではないでしょうか。

G.Suzukiおっ!スーパーファミコンが出てきましたね。では皆さん、そろそろ場も暖まってきたところだと思います。ゲームボーイは長らく続いたハードでもあるので、続きの話は次回に持ち越しましょう。では、続いての話題として、ゲームボーイから翌年に発売されたスーパーファミコンについてに移りましょう!

スーパーファミコンとRPG、そして格闘ゲームブーム。それぞれの想い出…
《G.Suzuki》
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