1996年8月に「ゲームボーイポケット」を最後に任天堂を退社した後、企画会社のコトを立ち上げ「ワンダースワン」や「くねくねっちょ」を開発しましたが、1997年に不慮の事故で56歳という若さで亡くなりました。
横井氏に関する文献は書籍「横井軍平ゲーム館」や文芸春秋に宛てた手記「なぜ私は任天堂を辞めたのか」(96年11月号)など非常に限られているのですが、横井軍平研究会という所がまぐまぐで「横井軍平の素顔〜今だから話せるゲーム王の発想法〜」というメールマガジンを創刊するそうです。
大企業・任天堂が今のような大企業になるきっかけの商品である「Game&Watch」、「ファミリーコンピュータの十字ボタン」、「ゲームボーイ」などを発案し開発した人物、それは"横井軍平"(故人)である。ここには初めて明らかにされる衝撃の事実があった
これは横井氏を良く知る人物からの取材を元に構成されたものだそうで、創刊号が公開されています。今後どのような話が展開されるかどうかは不明ですが、ちょっと注目したいですね。
(タレコミTHANKS)
関連リンク
編集部おすすめの記事
ゲームビジネス アクセスランキング
-
【TGS 2012】IGDA日本がCEDECに引き続き、TGSでもスカラーシップを開催
-
桜井政博氏が「ムシキング」の携帯電子ゲームをデザイン
-
『ミニファミコン 週刊少年ジャンプバージョン』発売2日間で11.1万台販売
-
プレイステーション3版『頭文字D EXTREME STAGE』・・・開発者に聞く
-
久多良木健氏、サイバーアイ・エンタテインメントを設立して活動再開
-
閉店になった洋ゲー専門店「ゲームハリウッド」、海外ゲームソフトは「未来百貨」で販売継続
-
アバターの口の動きがより滑らかに!音声認識リップシンク「CRI LipSync」が「Animaze」に標準搭載
-
『FINAL FANTASY XIV: 新生エオルゼア』を支える中国のデベロッパー・・・バーチャスインタビュー(後編)
-
なぜ「アイカツ」のライブ映像は、ユーザーを魅了するのか…製作の裏側をサムライピクチャーズ谷口氏が語る